23年度総会         3月25日(土)

 3月25日(土)9:30からアスト津3階の市民活動オープンスペース⑦⑧で23年度総会を開催し、 午前中は12名の会員で22年度の反省や23年度の活動計画を討議しました。

 今年度の活動の内容と月日がほぼ決まりました。恒例のフィールドワークは、県内が松阪を中心とした「地租改正反対一揆」フィールドワーク、県外が2泊3日で福島フィールドワークになり、とても楽しみです。

 夏の全国大会は兵庫(西宮)で、三重からのレポートは6本です。秋の東海ブロック集会は静岡での開催です。また、東海近畿サークル合同集会を三重で開催することになり、歴教協も三重民教連の中核として積極的に参加することを決めました。  

和田 崇さん
和田 崇さん

 午後の記念講演は三重大学の和田 崇さんに、

「三重県のプロレタリア文学」

というテーマで話して頂きました。

 プロレタリア文学についての予備知識や概念を解説して下さった後、具体的な史料から当時の講演会の様子や、雑誌を広げる工夫、活躍した作家や地域の文芸誌などを詳しく語って下さり、今まで知らなかった世界が広がりました。

 当時の講演会には監視の警官がつき、聴衆を煽っていると判断すると中止命令を出していて、中野重治は登壇して名前を言っただけで中止になったというお話も印象的でした。

「堀坂山行」「佐野史郎」などのペンネームで文筆活動をした梅川文男は、戦後松阪市長になり、竹内浩三を表舞台に上げたというお話も心に残りました。プロレタリア文学の流れが澤井余志郎の公害記録につながるという指摘も印象的でした。私たち歴教協の活動の源流ともどこかでつながっていると確信しました。和田さんどうもありがとうございました。 

地域での学習会①(志摩市) 4月23日(日)

 今年の全国大会(兵庫・西宮)レポートから学び、地域をフィールドワークする、恒例の「地域での学習会」。今年も4回開催しますが、第1回を志摩市で開催しました。

 

報告「亀山の列車銃撃と戦争遺跡の調査と継承」 

    (三鈴支部・岩脇 彰さん) 

 岩脇さんは亀山市との協働事業で作られている平和学習のデジタル教材や教職員学習会での成果と課題、県内の戦争遺跡の現状確認をしながら地域や研究者とのつながりを広げていること、出前授業で小中学生に平和学習をする中での工夫などを話して下さいました。

 教職員学習会では「学習会は動員ではなく、人数は少なくてもいいから、きちんと聞いてもらえる人に来てもらいたい」と言われたのが印象的でした。ただ、子どもたちに調べさせるのと、教師が「伝えたい」という気持ちをもって学習させるのとでは大きく違います。デジタル教材がもつ力をどう活かすかは、教師の力量nかかっていると思いました。

 戦争遺跡の調査で出会ったコウモリ研究家とのエピソードが印象に残りました。「地下壕の入り口についている穴はカワセミの巣」「壕の中に落ちている柿の種はハクビシンがいた証拠」など、同じ戦争遺跡でも、人が違えば見えている景色は違うということ、そして、お二人はその違いを楽しんでいるということ。「これって学びの本質であり、人権教育の出発点だよなあ」と感じました。

 戦争遺跡や平和を扱った文学教材で授業をしていると、15年戦争の最後の半年に集中してしまい、子どもが「日本が戦争をしていたのはアメリカ」と思ってしまうそうで、もしかすると大人でもはっきり答えられない人がいるかも知れません。どのように戦争が始まったかを学ぶことは、次の戦争を起こさないために必要不可欠です。大きな歴史の流れで戦争をとらえるという視点の大切さを教えて頂きました。 

海軍・金着浦基地の発電室用地下壕へ
海軍・金着浦基地の発電室用地下壕へ

跡を、よく見つけられるな…」ということです。地道な聞き取りや専門知識を合わせて、埋もれている地域の宝を掘り起こしているのだなあと、岩脇さんのすごさをより感じられる瞬間です。

 次は陸軍の里陣地へ。狭い地下壕に入って行くと、壕の奥にコンクリートのトーチカがありました。ここから海岸を機関砲で狙っていたそうです。

 地下壕の上には「イワクラ」があり、地域の大事な祭祀の場の下に軍隊が地下壕を作っていたんだなと思いました。

里陣地のトーチカ
里陣地のトーチカ

県運動」を推し進めていた当時、発症した子どもを隠した甲賀の方々の行動はとても勇気のあるものだと思います。生家を訪れると、当時のお風呂や商店のようすが垣間見れました。現在は誰も住んでおられないとのことですが、記念館や資料館として残すことができればいいのに…と思いました。

 島田さんの生家に向かう道中、民宿「豊」の前を通りました。この民宿は、強制隔離された甲賀の方の里帰りを受け入れる際、他の宿泊客を断り「里帰りされた方々が遠慮されないように」と配慮したのだそうです。「ハンセン病は怖くなかった?」という問いに、「だってうつらんもん」とあっけらかん

志摩観光ホテルの建物も戦争遺跡
志摩観光ホテルの建物も戦争遺跡

 

 午後のフィールドワークは「山をかき分けて行く戦争遺跡を見たい」というリクエストに応えてもらい、最初に海軍の金着浦基地(海竜・蛟竜用)に行きました。第19突撃隊最大の基地で、三重を代表する特攻基地だそうです。第19突撃隊の本部は、対岸の渡鹿野島にあり、基地跡からは渡鹿野島がすぐ近くに見えました。この島は『売春島』という本で紹介されていたので、「こんなところにあったのか!」という衝撃もありました。

 現存する地下壕やウィンチ室などを案内してもらっていつも思うのは、「こんなところにある戦争遺

金着浦基地の魚雷格納庫
金着浦基地の魚雷格納庫

 もう一つ印象的だったのが、里陣地と同じ甲賀にある、島田等さんの生家と民宿「豊」です。

 島田さんはハンセン病の隔離政策で長島愛生園に入所され、「知の巨人」と呼ばれていたのだそうです。島田さんの家は甲賀で雑貨を売る店をされていました。裕福な家でお風呂があったため、近所の人が「もらい風呂」をして、それが原因で5人が発症したのだそうです。島田さんを含む4人が愛生園に入所しましたが、1人は子どもだったために押し入れに隠され、強制隔離を免れたそうです。「無らい

島田等さんの生家で
島田等さんの生家で

と答えたのだとか。甲賀の方のように「共に生きる」姿勢をもちたい、圧力に屈せず、差別や偏見のない見方ができるようにありたい、と強く感じました。岩脇さんのおかげで、充実した1日となりました。

 

 

 最後に、志摩観光ホテルで美味しいケーキを頂いて終わりました。

 サミットにも使われた志摩観光ホテルクラシックの建物も、もとは鈴鹿海軍工廠の将校集会室で、戦争遺跡だったことに驚きました。

 


地域での学習会②(桑名市) 5月21日(日)

 今年の全国大会(兵庫・西宮)レポートから学び、地域をフィールドワークする、恒例の「地域での学習会」。第2回を桑名市の在良小学校で開催しました。

 

報告「地域の歴史を語り継ぐー弾薬箱と奉安殿と被爆梵鐘ー」(桑員支部・民上眞由美さん)

 民上さんのレポートでは、その確かな研究と実践に圧倒されました。民上さんが地域で開かれている歴史講座は、とても興味深かったです。

 その中でも、「本土戦のための弾薬箱」がたくさんの家庭に残っていて、それが何かを知らずに日常的に使ったり、そこにあったりした物が弾薬箱とわかり、地域の人たちが歴史講座に参加したことで「うちに昔からあるが、何やろ」という謎が解けたという話が印象的でした。

 一般の家庭で今も物入れや靴脱ぎ台に使われている謎の箱。これが、現在と過去の戦争中の出来事を結ぶ物になっています。地元の人にとって汚くて不思議な箱の背景には、治田村に陸軍兵器補給廠があったことに起因する戦中戦後の村の歴史がありました。

 そのように、身近な歴史を掘りおこし、平和を守っていこうと地域の皆さんに伝える歴史講座を、自分も受けてみたいと思いました。地域の掘りおこしとは、まさにこういうことなのだと思いました。 

 レポート報告の後、在良小学校に残る歴史の跡を見せてもらいました。

 奉安殿の場所の話をするうちに、五箇条のご誓文の碑があるはずだという話になり、窓からみんなでその碑をさがしました。

 在良小学校勤務の上野さんは、学校のあちこちから歴史にまつわる物を発見してみえますが、歴教協のなかまの情報で、今回もひとつ子どもたちと歴史を語れるきっかけになる物が見つかったようです。

 四日市の諏訪公園に誓いの御柱のひとつがあるのだとか。

 学校にはいつ頃どのような経緯で作られたのでしょうか。他にも残っている学校はあるのでしょうか。一つの物にまつわる歴史をひもといていくと全国的な歴史上の人々の動きにたどり着き、知ることができる例のひとつかと思いました。

 

 

 午後は、新田康二先生に案内していただいて伊賀上野地震と伊勢湾台風に関する寺や碑をめぐるフィールドワークを行いました。参加者は、6人でした。

藤里堤防沿いの火葬地の地蔵菩薩
藤里堤防沿いの火葬地の地蔵菩薩

 また、1596年慶長伏見地震(マグニチュード7.5以上だと推定されている。伏見城の天守や石垣が崩壊した)のとき、埋まった本尊をうなぎが守ったという語り伝えのある徳蓮寺では、多くのウナギとナマズの絵馬を見せてもらいました。境内への急な階段のある段差は断層と分かりました。

 この国に住む人たちが、何度も何度も災害に苦しめられ、復興してきたことを感じられるフィールドワークでした。

 右の写真は德蓮寺の鐘。

1944(昭和19)年、金属類供出命令によりこの鐘も供出されましたが、終戦後に鳥居辰美氏と住職井高雅氏が、四日市石原産業へ引き取りに行かれ、全国から集められた沢山の鐘の中から探し出し、持ち帰られたということです。

(徳蓮寺鐘の案内板より)

 

 新田先生が用意していただいた資料には、たくさんの碑や墓標、寺社がのせてもらってありましたが、時間の制約もあり、その一部を巡りました。 

 

 その資料には、「伊勢湾台風殉難者火葬の碑」が13基もあげられていて、三重県の死者1273人という多さを生々しく実感させられました。現地をめぐると輪中と呼ばれる地域の川、堤防、居住地の位置関係が体感できました。


地域での学習会③(亀山市) 6月18日(日)

 今年の全国大会(兵庫・西宮)レポートから学び、地域をフィールドワークする、恒例の「地域での学習会」。今年も4回開催しますが、第3回を亀山市「協働センターみらい」で開催しました。午前中は2本の報告から学びました。

「鈴鹿・四日市で灯をともして」

三鈴支部・萩森繁樹さん)

 

 四日市では「四日市公災害市民ネット」、鈴鹿では「スズカ革新懇」と「資本論教室」の活動を続けている萩森さん。

 どの活動も参加者を広げ、世話人や事務局を充実させ、「生活綴り方的アプローチ」を大切にした通

萩森さん
萩森さん

「三重県の戦争遺跡~三重県の北中部を中心に~」

高校支部・西脇智弘さん)

 

 戦争遺跡の調査や継承が若い世代に引き継がれていることがとても嬉しいです。

 今回は第二海軍燃料廠と疎開工場(四日市市)、鈴鹿海軍航空隊と陸軍鈴鹿飛行場(鈴鹿市)、陸軍菰野飛行場(菰野町)、三重海軍航空隊(津市)についての報告でした。

 陸軍菰野飛行場では、戦争遺跡を使った授業実践もされ、「なぜ菰野町に飛行場、防空施設を作らなければならなかったのか」から考えを深め、高校生

信を作られていて、活動・事務局・通信の三本柱をきっちりされているのはさすがだと思いました。

 特に四日市で話題になった「PFAS」(有機フッ素化合物)は、米軍基地周辺だけでなく四日市でも検出されていると知り、ショックでした。

 この物質は4ナノグラムでも有毒で、分解しにくく、人体からもなかなか排出されないそうで、腎臓がんや低体重児の原因になるそうです。外国では使用が禁止されていますが、日本では基準まで使用でき、基準値もかなり甘いそうです。これから四日市市に測定をさせたいということで、取り組みが一歩先を行っていると感じました。

西脇さん
西脇さん

と同年代の若者が特攻をしたことにつなげていく授業で、なるほどと思いました。

 陸軍菰野飛行場には、特攻から戻って来た兵士を再教育する「振武寮」から飛行兵が来ていたことはわかっていましたが、「振武寮分隊」というのがあったことは初めて知りました。各地の戦争遺跡を日本の戦争の歴史とつなげて授業化する視点や取り組みがすばらしく、参考にしたいと思いました。

 西脇さんが戦争遺跡調査の参考にされているのは三重歴教協が出版した『三重の戦争遺跡』ですが、2006年の刊行ですでに17年経っており、それ以後にたくさんの戦争遺跡が確認され、新しい事実もわかっているので、ウェブ版「三重の戦争遺跡」も参考にした方がいいという意見もありました。

 

地元ならではの道を行く萩森さん
地元ならではの道を行く萩森さん

 午後は鈴鹿市石薬師地区のフィールドワーク。石薬師は、萩森さんの地元で、西脇さんの元勤務校のある所。今回の現地見学にピッタリでした。

 石薬師には戦争中に陸軍第一気象連隊が作られ、その戦争遺跡が近年に発見されています。まずは記念碑と射撃場の跡を見学しました。

 途中で萩森さんが再合流されてからがすばらしく、射撃場は「子どもの時、魚を釣ってた所」「ここは、腹が減ったら、柿を取って食べていた所」など、萩森さんが子どもの頃から活発に地域を駆け回っていたことがわかりました(笑)。

 萩森さんから教わって、この日新しい戦争遺跡が2つも見つかり、これぞフィールドワークという収穫大の半日でした。

地域での学習会④(伊勢市) 7月22日(土)

 今年の全国大会(兵庫・西宮)レポートから学び、地域をフィールドワークする「地域での学習会」。今年度最終の第4回を伊勢市の三教組南勢高支部で開催しました。

 午前中は2本のレポートから学びました。

 

「言語化し表現するということ」 

         (津松阪支部・原田聡子さん)

 特別支援学級でその子に応じた指導を粘り強く続けている原田さん。具体的な取り組みと子どもたちの姿から教育の可能性とすばらしさを語って下さいました。

原田さん
原田さん

  Aさんはタブレットで表現することで、自分の思いを表現したり、行動を振り返って綴ることができるようになりました。そしてその表現から、周囲の大人たちがAさんの本当の力を知り、外に出ている様子と内面が大きく違うことを知りました。

 Aさんの大きな成長は、タブレットのお陰だけでなく、タブレットを安心して使えるようなルール作りをしたことや、原田さんと保護者そして公認心理師などの専門家との意見交流ができていたことが大きな要因だと思いました。

 特別支援教育に大切なその子の特性に合わせた指導と合理的配慮、そして保護者・専門家との連携のお手本のような取り組みだと感じました。 


「野呂元丈について」

         (伊勢志摩支部・大西孝明さん)

 同時代の青木昆陽、同地域の本居宣長と比べて、ほとんど知られていない野呂元丈に着目した大西さん。元丈の業績や時代背景んついて語って下さいました。

 

 医師・本草家であった野呂元丈は昆陽とともに近世蘭学のさきがけであり、西洋植物学・薬物学に本格的に接近した最初の人だったそうです。ただ、元丈の著書は出版されておらず、原本も不明になっているものが多いので、つかみにくいそうです。

 また、元丈をバックアップしたのは徳川吉宗など紀州藩ネットワークだったことが背景にあるという報告も面白かったです。このような地域の掘りおこしには、文献調査と並行して、現地に入り聞き取りを重ねるという「足で稼ぐ」取り組みが必要なこともわかりました。 

 午後のフィールドワークには、地元高校の歴史クラブから3名が参加されました。

 最初に、旧御師の丸岡宗大夫邸。伊勢神宮を全国に広め、伊勢参りのツーリストを務めた御師(おんし)。明治政府による御師制度の廃止により、宿舎を兼ねた広大な邸宅は姿を消しましたが、丸岡宗大夫邸のみ奇跡的に現存しています。邸宅を保存・再生されている子孫の丸岡正之さんに詳しい案内と解説をして頂きました。

 主屋の台所や玄関・居間、最後に入れてもらった長屋門の部屋では、「ブラタモリ」の収録でタモリさんたちが食事を取られたそうです。

丸岡宗大夫邸で
丸岡宗大夫邸で

 それから憲兵隊の隊門跡を見学。その後、祖霊社に行き敷地内にある「コレラ碑」と「濱田國松邸跡碑」を見学しました。

「コレラ碑」は、1886(明治19)年に県内で流行して多数の死者を出したコレラを伝えるために建てられた碑です。

濱田國松邸跡の碑
濱田國松邸跡の碑
1887年のコレラ碑
1887年のコレラ碑

「憲政の神様」尾崎咢堂は伊勢出身ですが、軍部の政治干渉を正面から批判し「腹切問答」で有名な濱田國松も伊勢の出身です。その邸宅跡の碑が外宮近くに残っていました。伊勢は竹内浩三、沢村栄治など戦争に関係した人物の宝庫だと感じました。


社会科授業づくり講座①

9月9日(土) 13:30~ アスト津3階⑦⑧

良知永行さん(静岡歴教協)
良知永行さん(静岡歴教協)

 今年度第1回目の社会科授業づくり講座は、静岡歴教協の良知永行さんをお招きしました。良知さんは『楽しくわかる社会の授業「主体的・対話的で深い学び」を問う』『生徒の心がうごく社会の授業』(共著)のほか、『歴史地理教育』にも「高校世界史 1時間目の授業はこうする 手が物語る歴史」「絵本を活用した世界史の授業」などの論考を出されています。今回は、

日本の「戦後」のスタートはこれでよかったのか?

 ~サンフランシスコ平和条約を読む~

という授業実践をもとに話をして下さいました。

 週に2単位ある「歴史総合」の各時間のテーマと「問い」の一覧表は、これだけでも小中学校での授業に役立ちそうですが、その表に「じゅごうで使った教材」が列挙されているのがすばらしかったです。モノだけでなく音楽もあり、生徒が惹きつけられるだろうなと感じるものがたくさんありました。

 授業ではまず日本国憲法前文を読み、内容を知り、歴史的に位置づけることから始まりました。

 日本国憲法前文を読み、歴史(戦中・戦後)をふまえて最も大切だと思う所に線を引かせ、意見を交流します。

 生徒からは「主権が国民にあること」「恒久の平和」など多くの意見が出されました。後の質疑では「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」、つまり戦争が政府によって起こされたことを明文化していることも大切にしたいという意見が出されました。

 また良知さんが出された「『絶対に』という文言を唯一使うのはどれか」という三択クイズも面白かったです。答えは36条。「ここから戦争中にどんなことが行われたがわかる」「自民党の改憲草案では『絶対に』が抜ける」という指摘も心に残りました。

 2時間目はサンフランシスコ平和条約を読み、


「サンフランシスコ平和条約に欠けていたものとは?」と問い、記述させます。「支配していた朝鮮の人々に対する支援」「戦時中弱い立場に立たされていた人々への配慮」「沖縄や朝鮮の犠牲のもとに成り立った条約」「自国のことを優先」「未来の平和を築くこと」「人権を守ること」など多様な意見が出たのは、教材を通しての学習の成果だと思いました。

 3時間目は、戦後のインド象の贈呈式で読まれた「ネルーからの手紙」で「日本の子どもたちに最も伝えたかったこと」を考えました。その中で「自分たちの立派な祖国のためばかりではなく、アジアと世界全体の平和の協力のためにも尽くしてほしい」という部分が、日本国憲法前文に似ていることに気づかせていく所がすばらしいと思いました。アメリカでもソ連でもない第三世界の視点から考えることも重要だと思いました。

 4時間目は「日本の『戦後』のスタートはこれでよかったのか?」を、「憲法の理念」「日米安保」「アジアへのまなざし」「第三世界というスタンス」という4つの視点から考えました。生徒の意見を紹介します。

やや良かった。評価を下げたのは憲法との矛盾があったにも関わらず日米安保を結んだこと。また、第三世界について日本はもう少し重視するべきだったと思う。そうすることで半植民地、人種差別撤廃の考え方からアジアとの関係がさらに良好になったり、平和五原則によりさらに憲法が重視されたかもしれないと思う。

アメリカとの関わりを重要視して外交政策を行ってきた。第三世界の国との結びつきも強固なものにして、はっきりとした日本の立場を示せば、国際的な地位は上がって、冷戦の激しさを抑制する役割を担えたと思う。

 

 

アメリカとの関係が大切であるため日米安保の考え方を重視していると思った。しかし、第三世界というスタンスやアジアの人びとへのまなざしはあまり重視されたイメージがないが、これらを重視することで世界平和に向けたよりよい行動ができたのではないかと思った。


 

 生徒が戦後のスタートについて深く考えているのがわかります。授業の展開について、とてもわかりやすく話して下さったので、小中学校からの参加者にもヒントになることが多く、とても勉強になりました。

「『歴史総合』は強者の歴史になりやすく危険だが、弱者の視点を入れると魅力的な教科になる可能性がある」という指摘は、そのまま小中学校の歴史学習にも通じますし、大切な視点だと思いました。

 良知さん、良いお話をありがとうございました。

福島フィールドワーク

10月7日(土)~9日(月) いわき~楢葉・双葉・浪江~飯館~福島

 いわき駅に10時半に集合して、地元の方が用意して下さったバスで出発。最初に無理を言って、見学予定でなかったいわき市立平第一小学校にある模擬原爆パンプキンによる犠牲者追悼碑を有志で見学しました。

平第一小学校のパンプキン破片
平第一小学校のパンプキン破片

 次は楢葉町の宝鏡寺。前回聞いた早川篤雄住職の熱い言葉を思い出します。早川さんは昨年末に亡くなられましたが、ご遺志はたくさんの方が受け継いでみえることがわかりました。奥様ともお会いでき、早川さんを偲ぶことができました。

原発悔恨・伝言の碑。右はお世話になった菅家さん
原発悔恨・伝言の碑。右はお世話になった菅家さん

 すっかり様変わりしてきれいになった富岡駅周辺の様子を見た後、大熊町にある中間貯蔵工事情報センターへ。福島第一原発(1エフ)のあった大熊町と双葉町には、20年を限度とする中間貯蔵施設が作られていて、大量の放射性廃棄物が埋められています。豊富な資金で展示施設を作り、中間貯蔵施設への見学会もされているそうですが、20年後はどうするのかなど多くの課題があり、原発事故は取り返しのつかないものだと改めて思いました。早川住職が言われていた「あやまれ つぐなえ なくせ原発」の方が、心にしっくりと来ます。

の甲状腺ガンと同じで、議論の土俵には乗らないそうです。「学者はしばられていて下手なことを言えないから、ごく一部の勇気ある人しか被曝だと言えない」と吉沢さん。国や東電などの「なかったことにする」策略の一端がわかります。なおさら、勇気ある学者や活動家の声をきちんと受け止めて、私たちも学習し、行動していきたいと感じました。

 1日目の最後は伝承館。国の多額の補助をもらって県が作った壮大な施設ですが、これまでの見学と対比させると展示はとても空虚でした。

 それでもガイドさんのお話は説得力がありましたし、1エフの模型はとても精巧でした。

1エフの模型。とてもリアルに作られています。
1エフの模型。とてもリアルに作られています。

 2日目の10月8日は、レンタカーで10人乗りハイエースを借りて、まずは請戸地区へ。昨日見れなかった所を再訪です。請戸史碑は「移転促進地域」になって住めなくなった請戸地区の歴史を伝える碑です。近くには請戸地区から集められた石碑や石仏、墓石などを埋葬した「先人の丘」などがありました。

請戸小学校の職員室
請戸小学校の職員室

 次は南相馬市の鈴木安蔵生家。鈴木安蔵は憲法学者で日本国憲法の骨子を作り、映画「日本の青空」の主人公になった方です。

 ここも前回は外観だけでしたが、今回は内部も見学できました。保存会会長の志賀さんは、漁師として原発反対を貫かれた方で、そのお話もたくさんお聞きできました。

おれたちの伝承館
おれたちの伝承館

 午後は飯館村へ。村会議員の佐藤八郎さんの案内で飯館村役場、今年避難指示が解除された長泥地区などを見学し、宿泊体験館で小林美恵子さんと伊藤延由さんも交えてお話を聞きました。

 原発爆発時に飯館村には平常時の1000倍の放射性物質が降り、今も山林の線量は高いままです。

 伊藤さんが持ってきて下さった立派な松茸。とても美味しそうでしたが、線量計を近づけると激しく鳴り出しました。「放射能は匂いしない、見えない、適当な器具で測ってこれだって言えばこれになる。都合がいいよね」と佐藤さん。機械がなければ気づけない放射能の怖さを実感しました。

平第一小学校のパンプキン犠牲者追悼碑
平第一小学校のパンプキン犠牲者追悼碑

 小学校のご厚意で休日なのに見学をさせて頂き、パンプキンの破片も見せてもらいました。当時は校長の英断で休校にしていたこと、今でも校長など犠牲になった方の追悼集会をされていることを知りました。

宝鏡寺境内にある伝言館
宝鏡寺境内にある伝言館

 お寺の境内には碑や伝承館が新しくでき、国や東電の無策や欺瞞を鋭く指摘していました。展示は安斎育郎さんがバージョンアップされているそうで、ぜひまた訪れたいです。

国が作った中間貯蔵工事情報センター
国が作った中間貯蔵工事情報センター

 前回も訪ねた浪江町の「希望の牧場」へ。今回も吉沢さんのお話をたくさん聞きました。まったくぶれず、さらに元気になっている吉沢さんでした。

 福島原発事故の後で牛の殺処分命令が出た時、330頭の牛を残すと決め、今も飼い続けてみえます。黒毛に白い所が出て、農水省からたくさん調査に来ましたが、結果は「わからない」。国は子ども

 浪江町の請戸地区に作られた追悼碑を見学しました。請戸地区の放射線量は低かったのに避難指示が出されたために、津波による被災者の捜索や救助が強制的に中断され、助けられた命が奪われました。

 碑には182名の犠牲者のお名前とともに、そのことへの怒りと悔恨が刻まれています。

「廃炉まで30~40年」という説明に、子どもから「いつから30年ですか」と質問があり、東電に聞いたら「質問された時からです」だとか。「廃炉とはどんな状態ですか」と聞くと、東電は「わかりません」。原発事故を「なかったこと」にするために非科学的な理屈を積み上げていることがわかり、それは原発誘致の時の理屈と同じだと感じました。

 菅家さんをはじめ、いわき市の皆さんにはとてもお世話になりました。どうもありがとうございました。バスで原ノ町まで送っていただき、1日目を終了しました。        

請戸史碑
請戸史碑

 次は「震災遺構浪江町立請戸小学校」。前回は外観からだけでしたが、今は内部まで公開されていて、津波のすさまじさを実感できました。

 学校に残っていた子どもや先生が、どのように全員無事に避難したのかも、詳しく展示されていたのでよくわかりました。

鈴木安蔵生家
鈴木安蔵生家

 次はすぐ近くの「おれたちの伝承館」へ。原発事故のひどさや教訓をアートで伝えるすばらしい施設で、今年の7月に開館したばかりです。

 一つひとつのアートに圧倒され、館長の中筋さんともお話をすることができました。この手作りの美術館はこれからどんどん進化するので、ぜひ再訪したいです。開館する時に、建物の除染が一番大変だったというお話も心に残りました。

飯館村の方々との懇談会
飯館村の方々との懇談会

若者が帰れないので高齢化も深刻です
若者が帰れないので高齢化も深刻です

 飯館村にはたくさんの線量計が設置されていますが、その数値は実際の3割低く出ると地域の方は考えているそうです。私たちが見た最高値は0.977μ㏜でした。国の助成で村内の施設はどれも立派ですが、飯館村の材木は使われていないそうです。木材の芯にセシウムが集まるからです。飯館村の山の恵みの汚染が収束するのは330年後だそうです。

 

 3人とも科学的に、そして真剣に飯館村の現状や将来を考えてみえるので、お金を投入して場当たり的に「なかったことにする」国などの政策に激しい怒りをもってみえることがわかりました。

「なんで私らが、こんな目にあうのか。加害者の作ったルールで。この13年間を返して欲しい」という切実な声を伝えなければなりませんし、次の原発事故が起こった時に同じ思いを私たちがすることになります。国や電力会社が原発事故を「なかったこと」にしようとしている以上、私たちは忘れず、科学的に原発の不当性を伝えたいと思いました。

 福島駅前でハイエースを返して宿泊し、3日目はお昼前まで、路線バスで福島市渡利の瑞龍寺へ模擬原爆パンプキンの破片を見に行きました。

 標的を大きく外れて水田で爆発したパンプキンは少年の命を奪いました。ご遺族から寄贈された破片をお寺で大切に保管し、展示もどんどん充実していることがわかりました。

 瑞龍寺にあるパンプキンの破片は全国最大で、持ち上げるとずっしり重かったです。四日市市にも3発落とされているパンプキンについても、語り継いでいきたいです。

 福島フィールドワークは充実して楽しい3日間でした。お世話になった福島の皆さま、本当にありがとうございました。またぜひお邪魔したいです。 


東海ブロック集会(静岡) 11/18(土)~19(日)

「東海道を往来した先人の歩みをたどる」

 東海5県(愛知、岐阜、長野、静岡、三重)で持ち回りで開催している歴教協の東海ブロック集会。

 今年は静岡の湖西市で開催されました。

2023年東海ブロック(チラシ).pdf
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 18日の16時から、宿舎の「活魚の宿あさしお」(湖西市新居町)に集まり、まずは松井秀明さん(静岡歴教協)の「新居宿のロビンソンクルーソーたち」という講演。

 新居にある祈念碑から地域の漂流民について掘りおこし、近代化とは何かまで考える素晴らしいお話でした。その後、夕食と各県交流会。

 三重からは4名、全体は17名の参加でした。

新居宿の旅籠紀伊国屋資料館
新居宿の旅籠紀伊国屋資料館

 最後は新居宿と新居関所史料館。関所は明治になっても学校や役場などに転用されたので、建物が奇跡的に残ったそうです。前日のお話で知った「無人島漂流者不屈の精神を伝える」碑も見学しました。

 三重のメンバーで、行きは豊川海軍工廠平和公園、帰りは二川の巨大なトーチカ(豊橋市)にも寄れたのも良かったです。

 静岡の皆さん、どうもありがとうございました。 

松井秀明さんの講演から学ぶ
松井秀明さんの講演から学ぶ

 19日はフィールドワーク。

 最初に「伊能忠敬観測地点」の碑。忠敬が観測した場所がはっきりわかる所は珍しいそうです。

 次に豊田佐吉記念館。裏山の展望台から富士山がきれいに見えました。

新居関所史料館前で
新居関所史料館前で

地租改正反対一揆の足跡をめぐる  12月16日

 松阪市役所駐車場に13時半に集合して、門 暉代司さん(松阪歴史文化舎)のご案内で、地租改正反対一揆のフィールドワークを行いました。

 最初に訪ねたのが文化課の郷土資料室。ここには、一揆を描いた8枚の絵が収蔵されています。この絵は「泥絵」と呼ばれますが、実際には泥絵の具を使ったのではないようです。絵に表現されている県庁も1879(明治12)年に建てられていますので、絵もそれ以降から大正の頃までに描かれたものと推定されますが詳細不明です。ただ、一揆を描いた肉筆画として貴重で、市指定文化財の候補にも上がっているそうです。8枚をじっくり見学し、一揆の背景、経過、成果についてお話を聞きました。

一揆で焼かれた三井銀行を説明される門さん。
一揆で焼かれた三井銀行を説明される門さん。

 そして、一番最初に5村の農民が集結した早馬瀬河原へ。一揆は1876年12月18日にここで始まりました。わずか5日間で名古屋鎮台の兵隊に鎮圧されますが、一揆は愛知県や岐阜県にまで広がり、鎮圧の5日後には地租の引き下げが決定されています。

松阪市文化課郷土資料室で「泥絵」を見学
松阪市文化課郷土資料室で「泥絵」を見学

 次に、一揆にゆかりのある場所を見学しました。

 最初は三井銀行跡。現在の「三井家発祥の地」の向かい側です。ここが地租納付の窓口だったそうで、一揆に焼かれました。

 次は一揆勢が集結した荒木野。現在の海会寺周辺です。現在は住宅地ですが、当時は小高い丘だったそうです。

一揆勢が数千人集まった荒木野の辺り。
一揆勢が数千人集まった荒木野の辺り。

 最後は、一揆の中心に祭り上げられた中川久左衛門(魚見村の戸長)の屋敷跡を見学しました。この一揆の明治政府の処罰は軽く、中川久左衛門も5年の懲役でした。

 地租改正反対一揆は、昭和の初めに「伊勢暴動」と言われ出しましたが、その名称は実態に合わないと「地租改正反対一揆」と言われるようになり、現在は「東海大一揆」という名称が定着しつつあります。今回の見学場所に、一揆についての記念碑や説明板を立てて「東海大一揆」について伝えていきたいと思いました。

 門さん どうもありがとうございました。

早馬瀬河原
早馬瀬河原
中川久左衛門の屋敷跡
中川久左衛門の屋敷跡

社会科授業づくり講座②   1月13日(土)

「地域の教材化~地域を教材化するおもしろさ」 早川寬司さん

 今年度2回目の社会科授業づくり講座は、「早川さんが大学生にどんな講義をしているのか聞きたい」というリクエストに応えていただきました。

「はい、この写真からわかることは何ですか?」 

土井ヶ浜の人骨
土井ヶ浜の人骨

 最初のポイントは「1枚の写真から授業をつくる」。1枚の写真や絵だけで深められるのが社会科の良さ、そして子どもたちが深く考えられるような写真などを探してコレクションすることが大切と話されました。そして、その写真や絵で考えさせる発問も大切だと感じました。 

「尾張国郡司百姓等甲解文」の実物
「尾張国郡司百姓等甲解文」の実物

 強調されたのは、地図の利用です。例えば、土井ヶ浜貝塚の授業では、地図帳で確認して赤丸をつけるそうです。右の写真は、東海大一揆を講義した時に使われましたが、松阪、津、四日市、桑名、名古屋などを地図上で確かめると、一揆の進み方がよくわかりますし、地図を読む感覚も育ちます。とても大切な視点だと思いました。

女の子の顔が鼻から上がかいてのは、どうして?
女の子の顔が鼻から上がかいてのは、どうして?

 次のポイントは「実物(レプリカ)を見せる」。

 模擬原爆パンプキンの授業でも、パンプキン実物大掛け図のインパクトがすごいですが、今日持って来られたのは「尾張国郡司百姓等解文」のレプリカ。広げると会場いっぱいになり、こんなに長文とは知りませんでした。子どもたちの目がキラキラするのが見えるようでした。


 3つ目のポイントは「授業プリントをつくる」。

 早川さんは授業の「説明・指示・発問」をすべて書き込むそうです。そうすると授業が脱線しないのはもちろんですが、次のような成果もあったそうです。

①耳の聞こえない子を担任した時に作りだした。耳が聞こえなくても学習に参加できた。

②欠席した子も、授業内容がわかって便利。

③漢字にはすべて読み仮名をつけるようにしたら、漢字が苦手な子も学習に参加できた。

 教室で学習に参加しにくい子どもの立場に立って工夫されてきたことがわかりました。

 また、授業プリントにも出ている発問も大きなポイントでした。

「正解を答えさせるためではありません」「いろいろな意見を引き出すためです」。

 ですから、三択問題も、どれもありそうなものを並べたり、すべて当てはまるものを並べたりするそうです。

 参加者からは「地域のことを見て、教科書のここにつながるなと、ひらめくことが大切だと思った」「早川さんの話を聞くと、社会の授業がしたくなる」などの感想がありました。

 早川さん、どうもありがとうございました。

地域の歴史は、日本全体の歴史と重なってくる
地域の歴史は、日本全体の歴史と重なってくる

2・11に考えるつどい 24年2月11日(日)

 たくさんの団体と一緒に実行委員会形式で開催している「2・11に考えるつどい」を今年度も開催しました。

 会場は久しぶりにアスト津3階のイベント情報コーナー。今回の賛同団体は三重歴教協を含んで23団体で、三重歴教協は事務局として運営や進行でも貢献できました。 

参加者は82人でした
参加者は82人でした
23.10.28. チラシ(北島さん) アスト津ver (最終版).pdf
PDFファイル 409.1 KB

北島義信さん
北島義信さん

 今年の講演は、北島義信さんで、

「社会を変えるヒント」

 

  靖国、統一教会、イスラエル・ガザ紛争から考える

 北島さんは、「紀元節」やそれの復活を目論んだ「建国記念の日」も、統一協会やイスラエル建国と同じく原理主義的宗教がしたことだと喝破されました。

 一般の宗教は自己中心にはなりませんが、原理主義は自己中心主義と一体化して、自分たちが神で、サタンが共産主義やパレスチナになるという説明はとてもわかりやすく、「シオニストがパレスチナの地に国を作る」という発想は満州国と似ていると言われたのも納得できました。

 シオニストの理論、統一協会の理論を詳しく解説してもらうと、本当によく似ていて驚きます。「普通の神社は敵も味方も祀るが、靖国は国に反抗した者は祀らないから特殊な神社。望まない者も祀られるのは屈辱」ということにもつながります。靖国法案に宗教団体が一緒に反対したのも当然だと思いました。

 南アフリカはウプントゥ思想でアパルトヘイトを廃止し、白人も追い出しませんでした。相互関係性の思想はキリスト教にもイスラム教にも仏教にもあり、それらは原理主義の自己中心主義を根本から拒否しています。これからの世界にはこの思想が広がるというお話に元気をもらいました。

「武力による勝率は2割だが、非暴力思想の勝率は5割」という言葉も心に残りました。

 北嶋さん、どうもありがとうございました。

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