2020年度総会   3月20日(金)アスト津 3階⑦⑧

 いつもの会場「アスト津」は異様な雰囲気でした。私たちの他に訪れる人はなく、広い会場の照明も落とされていました。新型コロナ騒動の弊害の深刻さを感じました。

 それでも予定どおり、20年度の総会を開催できました。

 午前中は19年度をふり返り、20年度の活動計画を決めました。今年は夏の全国大会を東海ブロック5県(愛知、岐阜、長野、静岡、三重)が協力して名古屋市で開催します。また、秋の東海ブロック集会は伊賀で開催します。この二つの活動に特に力を入れることを確認しました。

 会員の協力により財政も潤沢で、会員数も安定しています。21年度からは事務局体制を大きく変え、次世代に引き継ぐことも話し合われました。

 

記念講演 「沖縄は今~辺野古、高江~」

               冨田正史さん(しないしないネット)

 午後の記念講演は冨田正史さんのお話を聞きました。冨田さんは三重で高校教諭をされていましたが、退職後に沖縄に行き、アパートを借りて辺野古や高江の抗議行動を続けられています。

 辺野古や高江の新基地建設問題の歴史的経過、国の違法行為となりふり構わぬ強行工事、それに対する抗議行動と沖縄住民の思いなどを詳しく聞かせて頂きました。

 辺野古や高江だけでなく、土砂を搬出している本部半島の安和(あわ)や塩川でも合法的に抗議行動を続けていることを知り、訪ねてみたいと思いました。

「土砂を積んだダンプが右折できないように、歩道を歩く」「座り込みをすると排除されるので、グルグル歩いて抗議行動をする」「海でも陸でも、1分でも1秒でも工事を遅らせようとしている」というお話に、民衆の智恵やしたたかさ・明るさを感じました。

 私たちが抗議行動に参加することは難しいですが、カンパをしたり、子どもたちに闘いを伝えたりすることで支援できればと思います。そして、沖縄で国がしていることを詳しく知り、伝えていきたいです。冨田さん、どうもありがとうございました。 

地域での学習会①

4月19日(日)10:00~ いなべ市北勢町垣内・賀毛神社社務所

治田小学校奉安殿(奥村神社)
治田小学校奉安殿(奥村神社)

 全国大会レポートから学び、ゆかりの地を見学する「地域での学習会」を今年も4回開催します。今年の全国大会レポートは12本です。

 第1回は員弁で開催します。

 提案していただくレポートは3本です。

①「もっとしりたい ともだちのこと~違いを豊かさに~」(三鈴支部・伊藤千手子)

②「長崎から何を学ぶか~限られた枠組みの中での実践~」(高校支部・中西弘行)

③「地域の歴史や戦争遺跡を語り継ぐ」(桑員支部・民上眞由美)

 レポート終了後、現地見学をおこないます。員弁の雄大な景色と歴史、そしていつもお土産に買う和菓子も楽しみです。

 コロナ騒動により、中止になりました。

地域での学習会②

5月16日(土)13:00~、17日(日)9:00~

鳥羽市・鳥羽商工会議所2階 小会議室

 コロナ騒動たけなわで、中止になる可能性が高いですが、5月の第2回「地域での学習会」は合宿研を計画しています。

 16日(土)の夜は希望者で「魚勘」に泊まり、志摩の海の幸を楽しむ予定です。

 実現するといいですね。

 提案して頂く全国大会レポートは5本です。

「ありがとう、磯津」(三鈴・萩森繁樹さん)

「お菓子を作る仕事」(津松阪・草分京子さん)
「特別支援学級での介助の支援とは」(三鈴・中嶋千絵さん)
「昭和東南海地震と『報道管制』、残されたモニュメント」(伊勢志摩・新田康二さん)
「全国13の国立ハンセン病療養所を訪ねて」(三鈴・岩脇 彰さん)

 コロナ騒動により、中止になりました。

地域での学習会③

6月13日(土)10:00~16:00

亀山市・市民協働センターみらい 2階大会議室

 コロナ騒動で活動も中止を余儀なくされていましたが、久しぶりに集まれました。みんなで集い、実践から学び、近況を交流し合う場は、やっぱり楽しいですね。

 午前中は2本の大会レポートから学びました。

 

「未来そうぞう」(桑員支部・早川寛司さん)

「2分の1成人式」をやめ、それに代わるものとして取り組まれた実践です。まず子どもたちはいろいろな仕事を図書の本や聞き取りで調べ、自分がなりたい仕事を決めます。そして10年後の自分を想像して架空同窓会を開き、その仕事をしている自分を語ります。

 架空同窓会はパネルディスカッションでおこない、3回リハーサルをして練り上げた後、保護者にも発表します。子どもたちの発表や、質問に対する答えがとても具体的だったのは、調べ学習の成果でしょう。親の仕事をしっかり調べたり、津の検察庁まで見学に行ったりした子もいました。

 職員の一部には「2分の1成人式」を止めることに反対する意見もあり、保護者からも電話で質問があったそうですが、管理職が「未来そうぞう」の意義をきちんと伝えて納得してもらったそうで、良い職場だなと思いました。

 この取り組みは「2分の1成人式」を大きく超える取り組みであり、これから現場に入って来るキャリアパスポートにも対応できるものとして注目されます。

「もっとしりたい ともだちのこと~違いを豊かさに~」(三鈴支部・伊藤千手子さん)

 学級にいる中国やペルーなどの子どもを中心に、みんなで多文化を学んだ実践です。

 絵本、そして歌、料理などで学習を進めました。絵本は『世界のあいさつ』『牛はどこでも「モー」!』を紹介して下さり、にわとりやカエルの鳴き声は世界でいろいろな表現があるのに、牛はどの国もモーだというのが面白かったです。

 歌は「きらきらぼし」。中国語やスペイン語でも歌ったそうで、母語で歌う子どもの発音のすばらしさに子どもた

パンプディン
パンプディン

ちも伊藤さんも驚いたそうです。中国の遊び「四隅の豆腐」もやってみようと思いました。

 料理はサツマイモを使って中国のタンユエン、ペルー料理はパンプディンを作ったそうで、今日もご馳走になりました。スペイン語だけで授業をしたり、子どもたちの名前を中国読みにしてもらったりする実践も面白かったです。

 

 お昼は中嶋さんが作ってきて下さったお弁当を頂きました。茗荷ずしやおにぎりに加えて、たくさんのおかずを作って下さり、お腹がいっぱいになりました。中嶋さん、そして伊藤さん、美味しいプレゼントをありがとうございました。

 午後は現地見学。亀山市歴史博物館を見学し、「亀山市の戦争遺跡マップ」を頂きました。そして市内の列車銃撃現場に建てられた説明板を見学。地域に根ざした調査や活動が、少しずつ地域を変えていくことがわかりました。「地域に根ざし、地域を


変える」という歴教協の原則を大切にしたいです。

 その後、鈴鹿市に残っている戦争遺跡2ヶ所を見学して、巨大な戦争遺跡が今も残っていることに驚きました。鈴鹿市が軍都として誕生したこと、戦争遺跡に何を語らせるかなども知ることができました。

亀山列車銃撃の説明板
亀山列車銃撃の説明板

地域での学習会④

7月4日(土)10:00~16:00

名張市市民情報交流センター 会議室

 今年度最後の「地域での学習会」は昨年に引き続き名張市で開催しました。伊賀支部の大西さんが新しい会場を開拓して下さり、とても良い環境なので今後もホームグラウンドとして使えそうです。

 今日も2本の報告から学びました。

 

「みんなが使う町の施設~学校の周りにはどんな施設があるのかな~」(津松阪支部・三谷陽平さん)

 2年生の生活科で学校周辺の施設で学習した取り組みです。駅、図書館、公民館、郵便局、病院などたくさんの施設を訪ねながら、子どもたちが自分の目でいろいろな発見をしていく姿が語られました。

 公民館は「集まる、学ぶ、楽しむ、つなぐ、つくる、探す」所と教わったそうで、これは歴教協の活動と重なるなと感じました。

 郵便局のバックヤードツアーや郵便バイクの工夫に視点を当てた学習も楽しかったです。

 質疑では、3年生社会科との重なりをどう調節するかや、社会科と生活科のねらいの違いなどが話題に出されて深まりました。 

「津田三蔵と大津事件」(伊賀支部・大西孝明さん)

 小学校では大津事件をほとんど扱いませんが、大西さんのお話を聞いてとても興味が湧き、『ニコライ遭難』(吉村昭)も読むと、さらに日本を震撼させる事件だったことがわかりました。

 ロシアの皇太子ニコライを大津で突然切りつけたのは巡査の津田三蔵。藤堂藩出身で三重にゆかりのある人でお墓も伊賀市にあります。事件の背景や登場人物の裏話を多岐にわたって語って下さいました。政府や元老に忖度せず、この事件を不敬罪でなく謀殺未遂罪を適用して司法の独立を守ったとされる児島惟謙のしたことをどう思うかを高校生に考えさせたらという意見も出されました。

 三重歴教協のお楽しみの一つはお昼ご飯。今回も中嶋さん(三鈴支部)がお弁当を作って下さいました。ちょうど半夏生だからタコ飯、そしてお茶葉の天麩羅など身体にも良く美味しいおかずがいっぱいで食べきれないほどでした。

中嶋さん、いつもありがとうございます。

 

 午後の現地見学で最初に訪れたのは赤目自然歴

史博物館。今年3月にオープンしたばかりですが、忍びの実像にせまる展示が良かったです。名張の戦争についての展示もありました。近くには赤目四十八滝もあり、この滝が修験道の行場として発展してきたこともわかりました。オオサンショウウオもたくさん飼育され、フィールドミュージアムとしても優れているのでゆっくり再訪したいと思いました。

 名張市武道交流館で蔵持小学校にあった被弾ピアノを見た後、伊賀市の大超寺へ。大津事件の津田三蔵のお墓がひっそりと立っていました。寺の山門近くに説明板もなく、お墓の立て札も朽ちているので、大西さんがいなければ見つけることはできなかったでしょう。

 ここが大津事件を学び考える場になればと思いました。たくさん学べた一日でした。

フクシマ学習会

9月12日(土)13:30~ アスト津⑦⑧

秋山さんと上野さん
秋山さんと上野さん

 毎年、四日市公害と原発・放射能のことはどこかで学習することを大切にしている三重歴教協。

 今年は「原発おことわり三重の会」の秋山茂さんに最近福島を訪ねて見聞されたことを話して頂きました。

 また、秋山さんからのお声かけで、毎年福島の子どもたちの保養に取り組まれている「ふくしまいせしまの会」の上野正美さんも来て下さり、とても有意義な時間になりました。

 緊急事態宣言と言うと、今はコロナですが、福島の緊急事態宣言も今も解除されていません。なのに、放射能の安全基準を平時の20倍に引き上げて帰還を強要し、言うことを聞いた自治体に交付税を落とすというのが今の政府のやり方です。

 政府や財界・電力会社が福島の事故を「なかったこと」にしようとする以上、私たちは忘れないために学び続け、声を上げ続けたいとあらためて思いました。秋山さん、上野さん、どうもありがとうございました。

 「福島全体で甲状腺ガンの子どもが300人。その7~8割は他にもリンパや肺などに転移している。普通は100万人に1~2人の割合でしか発生しないのに、福島では36万人で300人。嚢胞のある子が3000人、疑わしい子は経過観察になるが、その後にガンが発症しても人数にカウントされない。福島県以外の子どもは手つかずのまま」「甲状腺を2つとも取ると、甲状腺ホルモンを一生飲み続けなければならない。ガンだけでなく、心臓をやられて突然死も多い。筋肉や生殖器もやられる」

「移住できない母親が選んだのが保養。私たちは保養のための交通費などを出している。母親たちは年がたつほど保養を言いにくくなっている。福島のおじいさんがくれるリンゴを食べたくないという母親も。それが風評被害なのか、事実なのかがわからないし、受け止め方にも個人差がある。お盆や正月に保養を組むと父親も来れる。保養の前と後では尿の数値が変わるという話も聞いた」

社会科授業づくり講座①

「医師・中村 哲、武器よりも命の水を!」(6年・世界の中の日本)

10月11日(日)13:30~ アスト津⑦⑧

 兵庫歴教協の間森誉司さんを講師に「卒業前の児童の心を揺さぶった素晴らしい教材―『医師・中村哲、武器よりも命の水を!』6年生社会科・世界の中の日本の授業を作る―」のお話を聞きました。 

 

 間森さんは、現在姫路市の小学校で非常勤講師をしておられ、何と社会科専科です。授業の様子を動画で見せて頂いたのですが、おもしろいなぁと思った実践は、「教科書に出てくる歴史上の人物を教室に呼び寄せる」というものでした。専科教員として担当している学級の担任を歴史上の人物に変装させて、授業の中で登場させて、いろいろとインタビューをしたり、語らせたりして児童の興味を引く実践でした。変装も髭を生やし、手作り衣装を着せ、声色も変え(笑)担任もノリノリ、生徒もノリノリ、間森先生もノリノリで楽しい授業になるなぁと感じました。

 間森さんが授業の中で意識されていることは、児童たちとの「アイコンタクト」です。授業の様子も見せて頂いたのですが、児童の近くに行き、目を合わせ、じっと発表に聞き入る姿勢を見せていました。発言を聞きながら板書をすると、その時は児童の発表の時に背を向けてしまいます。間森さんは、発表者の意見を全てまとめて聞き、象徴的な発言を板書されるそうです。そこでは、「〇〇さんが言ったことなんだっけ?」など、児童に大事なことを聞き、確認し合いながら板書を書いていくことがコツと教えて頂きました。

 間森さんは「社会科は発見の授業」と考えておられます。動画の授業でも、2010年3月のアフガニスタンのガンベリ砂漠の写真とその1年後の写真を見せていただきました。(右の写真は別のものです)2種類の写真を黒板に貼っていつでも見られる状態にし、「比較から発見させる」ことを大切にして授業展開をすると良いと教わりました。資料を提示することで、様々な発見があり、児童の意見を引き出し、深まる授業になると教えて頂きました。

 お話を聞いていく中で、「授業に使えるものは何か無いか。」と常にアンテナを張り、意識を高めておくことが重要だと感じました。間森さん、どうもありがとうございました。

社会科授業づくり講座②

みんなが使う町の施設~学校の周りにはどんな施設があるのかな~

10月18日(日) 15:00~16:30  アスト津

 三重民教連・秋の学習会と重ねて開催し、三重歴教協が社会科の分科会を担当しました。

 報告は「みんなが使う町の施設~学校の周りにはどんな施設があるのかな~」(2年生活科)です。

 報告をして下さった三谷陽平さん(津松阪支部)は前年度の9月からどんな施設があるのかをリストアップし、子どもたちの意見も取り入れて施設の見学を開始。最初は公民館でで館長さんのお話を聴き、次に郵便局でお話を聞くだけでなく、ご自身のバイクと郵便バイクを比較して仕事にせまるなどユニークな学習方法もされました。駐在所の駐在さんに来て頂いたときには、拳銃以外の普段身に着けている道具も見せてもらったそうです。

 現地に行き、詳しい話を聞く中で問いを見つけるという方法を学び、地域を教材にする楽しさや良さもよくわかりました。三谷さんどうもありがとうございました。

和歌山フィールドワーク

10月31日(土)~11月1日(日)

 今年の県外フィールドワークは和歌山です。案内して下さったのは田城さん(和歌山歴教協)です。

 最初は「稲むらの火の館」。「稲むらの火」で有名な浜口家(ヤマサ醤油)の土地が寄贈されたので、屋敷を浜口梧陵記念館(前の家屋)、残りの敷地に津波防災教育センター(後ろのビル)を建てたそうです。広大な屋敷です。

 梧陵は千葉で醤油商をしていましたが、1年に1

稲むら。稲を乾燥させるために積み上げました
稲むら。稲を乾燥させるために積み上げました

 梧陵が私財を出して作った堤防です。津波で田畑を無くした人たちが村を出て行こうとしているのを見た梧陵は紀州藩に掛け合って工事を素早く始め、手伝った人に日当を出しました。収入を得た村人は生活を再建できました。また堤防は津波で倒壊した家屋などを埋める目的もあったそうです。資産家のこのような姿勢が、今は失われています。

 昔は秋分の日に盛り込みを始めたそうですが、今は適温でなくなったために11月に入ってから始めるそうで、温暖化を実感しました。売って頂いたお醤油は、お刺身や玉子ご飯に抜群に合いました。

 街並みも重要伝統的建造物群に指定されています。

 2日目は道成寺のあと興国寺へ。宝燈(ほっとう)国司は中国の杭州で径山寺みそと尺八を覚えて帰国し、この寺の住職になりました。味噌と醤油の発祥の寺と言われています。

興国寺
興国寺

度は故郷に帰っていたそうで、帰った時に遭遇したのが安政南海地震(1854年)でした。その前日には安政東海地震が起こっています。

「稲むらの火」に書かれたことと史実はだいぶ違い、梧陵は高台に住んでいなかったし、火も逃げ遅れた人を誘導するためにつけたとわかりました。

 広村は津波で全戸の半分が流出し、被害は全戸に及びますが、97%の人が助かりました。 

 次に訪ねたのは湯浅町の醤油屋さん「角長」。湯浅には江戸時代に醤油屋さんが92軒ありましたが、今は1軒だけ。醤油を作る桶は吉野杉ですが、もうこれだけの桶を作る職人がいないため、量を増やさずに質を落とさずに作っているそうです。

『稲むらの火」の舞台になる八幡神社へ。宮司さんが案内して下さり、浜口梧陵の顕彰碑の門も開けて下さいました。碑文は勝海舟が書いたそうです。

「昔はいい扉がついていましたが、金属供出でなくなりました」と宮司さん。ここにも戦争の爪あとがありました。

興国寺
興国寺

 それから紀伊風土記の丘へ行き、岩橋(いわせ)千塚古墳群を見学しました。たくさん山歩きをしていい運動になりました。天気にも恵まれ、充実した2日間でした。みかんも美味しかったです。

 田城さん、どうもありがとうございました。


東海ブロック集会(伊賀市)

11月14日(土)~15日(日) ヒルホテル・サンピア伊賀

テーマ「伊賀を知る~伊賀忍者と満州天理村~」

 歴教協東海ブロック5県(愛知、岐阜、長野、静岡、三重)で持ち回りで開催している東海ブロック集会。今年は三重が当番です。

 伊賀支部の大西さんが周到に準備をして下さり、コロナ騒動の中、無事に開催することができ28名が集いました。5県や本部はもちろん、伊賀は近畿圏なので関西圏からの参加もありました。

 1日目の記念講演は「忍者の虚像と実像」(伊賀忍者研究会会長 池田裕さん)。猿飛佐助などの漫画や映画で忍者は飛んだり消えたりするイメージが強いですが、文書に基づいて忍者の実像を学べました。現在も伊賀や甲賀周辺には忍びの末裔がたくさんみえ、家には帷子(かたびら)や陣羽織などが残されていて、断食の修行を続けている方もいるそうです。忍者を「にんじゃ」と読むと映画や漫画的になりますが「しのびのもの」と読むと歴史的になるそうです。忍びの歴史や生活、薬草の知識など多岐にわたって語って下さり、とても楽しかったです。忍びの大切なことは文書に残さず口伝で、「その道に入らなければ理解できないし、入門しても百鍛千錬しないとできない」そうで、どの道も同じですね。

 2日目はフィールドワーク。まず、宿舎近くの天理教・伊賀生琉里(ふるさと)分教会へ。天理教がハルピン郊外に作った開拓団「満州天理村」について学習しました。分教会に残っている当時の写真を見せて頂き、詳しく書かれている書籍も全員に頂くことができました。分教会の皆さん、どうもありがとうございました。満州天理村からの戦後開拓団は、伊賀の他に奈良と美杉町にもあります。

春日神社で(伊賀市川東)
春日神社で(伊賀市川東)
天正伊賀の乱の墓石
天正伊賀の乱の墓石

 とても驚いたのは屋敷の周囲に堀や土塁を巡らせた家がたくさんあったことで、中世の城館建築そのままでした。重要伝統的建造物群保存地区にも十分なるぐらいの景観ですが、公開も観光化もせずに景観を靜かに守っているのが、まさに忍びでした。

 フィールドワークでもたくさんのことを教えて下さった池田さん、どうもありがとうございました。

天理教 伊賀生琉里分教会
天理教 伊賀生琉里分教会

 次は伊賀市川東地区へ。この一帯には忍びの東組の集落があり、今でも忍びの館がたくさん残っています。1日目に講演して頂いた池田さんが案内して下さいました。春日神社は天正伊賀の乱の時も筒井順慶に頼み込んで焼失を免れました。少し歩くと天正伊賀の乱の墓石群。何の説明板もありません。この辺りの水田はとても深く、防御に使われていたそうです。地名も深田でした。

深田を見る
深田を見る
この土塁はブラタモリでも紹介されたそうです
この土塁はブラタモリでも紹介されたそうです

 この後、三重県最大の前方後円墳である御墓山(みはかやま)古墳に登って大きさを実感し、伊賀は畿内であることもわかりました。

 長い東海ブロック集会の歴史の中で、初めて関西圏で開催されたこの集会。伊賀の魅力を満喫できました。


答志島フィールドワーク

12月13日

 2014年以来、久しぶりの答志島。わずか10分ほどですが、鳥羽からの船旅はいいものです。

 今回も島の旅社の山本かな子さんに案内して頂きました。

和具港で山本さんのお話を聞く
和具港で山本さんのお話を聞く

 答志はワカメとサワラの町。他に黒ノリやナマコ、ウタセエビ、ちりめんなども多いそうです。特にサワラは「トロさわら」としてブランド化して、魚に傷をつけないように網は使わず一本釣りで取るそうです。海の幸もたくさん見ました。


 コミュニティアリーナで山本さんと浜口さんに寝屋子のお話をして頂きました。答志島には今も寝屋子制度が残っていて、浜口さんは寝屋親をされています。一緒に寝屋子で過ごした7~8人はつき合いが深く、親に反抗しても寝屋親には逆らわないそうです。ただ、今は島に残る子どもが1~2人なので、寝屋子も存続できなくなってきたそうです。

 昼食は海女小屋で干物や貝などを頂きました。炭火で焼いてもらったのでとても美味しかったです。サービスでお餅も焼いて下さいました。

 この古墳は鳥羽市の指定文化財ですが、貴重な戦争遺跡でもあります。他に海軍の水平砲台も見学する予定でしたが、雑草が繁茂して近づけませんでした。戦争遺跡の定期的な現状確認と整備をする大切さを感じました。

海女小屋の前で
海女小屋の前で

 答志はお祭りの島。この家の壁面が少し削って作られているのは、お祭りの山車が通れるようにするためだそうです。節分には窓の数だけイマメの木を玄関に飾ってイワシを差したり、八幡祭りで奪い合った炭を使って書かれた「〇に八」の文字があちこちで見られました。

 食後は山登り。尾根に作られた岩屋山古墳です。横穴式石室の奥壁が壊されているのは、戦争中に答志島に陣地を作った陸軍が通路壕として使ったためです。

通路にするため破壊された石室の奥壁
通路にするため破壊された石室の奥壁

 いつ訪れても、何度訪れても素晴らしい答志島。また近いうちに訪れたいです。

 お世話になった山本さん、どうもありがとうございました。


2・11に考えるつどい

2月11日(木) 三重県教育文化会館 6階 多目的ホール

 実行委員会形式で毎年開催している「2・11に考えるつどい」。三重歴教協が事務局を担当しています。今年は賛同団体が23団体になりました。

 今年は白井 聡さん(京都精華大学)に来て頂き、「菊と星条旗~戦後日本の対米従属~」というテーマで講演して頂きました。

 日本はアジア太平洋戦争をまったく反省しておら 


ず「否認」していること。日本は冷戦下の朝鮮戦争やベトナム戦争でも奇跡的な立地条件によってアメリカの子分としてⅤ字回復をして、戦争責任者は「親米保守」として権力をもったこと。敗戦国なのでアメリカの属国化されたのは当然だが、敗戦を認めてないので「思いやり」「トモダチ」など情緒的なこと。安倍は「永続敗戦論」の情念が物質化して服を着ているような人だが、3・11の後で多数派が選んだのが安倍だったこと。そして「原発事故はえらいことだ。…そうだ、東京でオリンピックを、大阪で万博をしよう」というものすごいロジックで3・11をも否認していること。敗戦から今までを的確に語られ、これからの方向性を教えて下さいました。「日米安保はやめなければならない。その日が本当の建国記念日、独立記念日になる」という言葉に会場から拍手が湧きました。2月11日を考えるのにふさわしいご講演でした。

 白井さん、どうもありがとうございました。 

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