● 三重県歴教協総会

 3月23日(土)アスト津(津駅ビル)で総会を開催。2013年度の活動方針などを決定しました。

 夏の企画展はハンセン病をテーマにします。4月から実行委員会を立ち上げて企画を考えていきます。会員の高齢化や退職が進み、少しずつ会員が減ってはいるものの、まだまだ元気な歴教協。昨年から若い会員も増えていますので、今年もさらにたくさんの方とつながっていきたいです。

 

記念講演「飯館村住民から伝えたいこと」~自然と共にあった福島県飯館村の生活 原発事故が奪ったもの~

                                  (講師 村上真平さん)

 とてもわかりやすく、感動的なお話でした。

 お金中心の社会から捨てられた飯館村の耕作放棄地を、自然農法で豊かなコミュニティに変えた村上さんの生き方がすばらしく、こんな暮らしのスタイルが増えてくれば、過疎地はなくなり、お金中心の社会がもっと住みやすくなると、将来への展望を見た思いがしました。

 今の社会を振り返ると、より異常さを感じるのが原発です。一度事故が起きれば膨大な数の生活が破壊され、正常に動いていても10万年も保管しなければならない「放射能のゴミ」が出ます。ウランは100年も持たないから、子孫が原発の電気を使うことはないのに、原発のゴミだけ押しつけられたら、私たちの時代を何と評価するのでしょうか。

 ドイツでは、原発継続を求める経済界よりも、倫理委員会の勧告を受け入れて、脱原発を選びました。お金よりも、人として当たり前の結論を日本も早く出すべきだと思いました。 

     学習会の風景
     学習会の風景

 ●地域での学習会(亀山市)5月11日(土)

 午前の部は10時より亀山南小学校会議室で開催しました。

 

 報告①「亀山・列車銃撃事件の掘りおこしの広がり」(亀山南小 岩脇)では、2007年より取り組んできた銃撃事件の掘りおこしの、現時点での成果と今後の展望についての話を聞きました。銃撃事件の概略や犠牲者のことを学び、戦争の悲惨さがよくわかりました。

 アメリカ軍資料によって銃撃をした硫黄島の部隊がほぼ特定できたこと、その部隊の戦闘日誌や作戦報告を入手すればさらにわかることも教わりました。亀山の歴史は、亀山の人が掘りおこさないと消えていくので、ぜひ歴史博物館の展示や、慰霊モニュメントなども実現できればと思いました。

 

 報告②「アジア・太平洋に広がる戦争~亀山列車銃撃事件と県内の空襲」(亀山東小 米川)では、掘りおこされた銃撃事件を教材化した実践例を聞きました。時間ごとの子どもの感想や疑問などが丁寧に記録されていて、子どもの認識の変化がわかりました。OHP用紙を使った教具も面白かったです。掘りおこしだけでなく教材化することで、学校での取り組みにつながり、子どもたちにも伝わることを学びました。

 

 午後は現地見学。

①列車銃撃事件現場(亀山市天神中村)

 雨の中の見学でしたが、運よく体験者の方と出会い、銃撃の時の様子を話して頂きました。雨のように落ちてきた薬きょう、ものすごい銃撃音、田んぼを横切って逃げてきた乗客、血の海となった近くの農家など、生々しい証言を聞くことができました。

②亀山城多聞櫓(たもんやぐら)

 大修理を終えて公開された多聞櫓は、県内に残る唯一の城郭建物です。担当者の方に、修理・修復時にわかってきたこと、留意したことを詳しく聞くことができました。また、地震で崩れた石垣のことや、昨年末の放火のことなど、裏話を交えて興味ある話を聞かせてもらえました。

③かめやま美術館の「保永堂版東海道五十三次」全作品

 浮世絵の収集で有名なかめやま美術館。今回は歌川広重の東海道五十三次全作品を一挙公開するので見に行きました。館長さんに解説をしてもらえたのもラッキーでした。川崎と小田原は初刷りと後刷りが両方展示されていて、図案がすごく違うことに驚きました。 

 子どもたちの、たくさんの資料
 子どもたちの、たくさんの資料

●地域での学習会(松阪市嬉野町)

                                      6月16日(日)

 

10時から12時まで、中川新町地域交流センター(松阪市嬉野町)で、地域での実践報告から学びました。

 

「桜堤防から見えた中川~総合的な学習の時間(4年)」(鵲小 原田)

 中川小学校の目の前を流れる中村川。そこに造られた桜堤防。

 総合の時間に、原田さんたち4年生3クラスは、自分たちの課題を見つけて学習を深めていきます。原田さんがこだわったのは桜堤防。桜堤防がいつ何のために造られ、地域の人たちがどう関わってきたかを明らかにしていきました。身近にあった洪水被害のこともわかりました。

 調べる楽しさ、事実が判明してくる喜びを、子どもたちと共有している原田さんの姿がとてもすてきでした。 学習会には中川小学校の先生3人も参加して下さり、貴重な取り組みのバトンタッチもできました。

 

 午後は現地見学です。

①ふるさと会館

 嬉野の主要遺跡の解説や発掘品の展示を見ました。嬉野が古代からの遺跡の宝庫であることが、よくわかりました。天白遺跡の特別展も見ることができました。

②桜堤防

 午前中に詳しく教わった桜堤防周辺を踏査して、堤防の様子や土地の高さを実感することができました。

③天白遺跡

 縄文時代の祭祀遺跡として有名な天白遺跡。保存展示されている石列を見ました。見るほどに不思議な遺跡だと思います。

④八田城

 地元の中世城館を、地域の方がこまめに手入れされ大切にされていることがよくわかりました。

 

 帰りに地元の雑貨店で、特産物の「島田ビワ」を買いました。安くておいしかったです。こういうのも現地見学の大きな楽しみですね。

 原田さん、どうもありがとうございました。

 お祭りの後で、川北さんたちと
 お祭りの後で、川北さんたちと

●愛生園との交流 7月25日(木)

 この日は愛生園の夏祭り。今回で11回目になる交流ですが、夏祭りに参加するのは初めてでした。

 夕方4時に愛生園に到着して、川北さんの家で休憩。川北さんの岡山のパチンコ友だちも来て、ワイワイと話をしていました。

 5時半からお祭り会場へ。万国旗などで飾られた会場は華やかで、音響設備も完璧でした。屋台もたくさん出て、田畑さんたちは「ひるぜん焼きそば」、草分さんは生ビールで開会を待ちます。

 セレモ二ーに続いて、近くの小学生が踊りの披露。小学生の参加は今年初めてだったそうです。若い職員さんたちのダンスやいろいろな出し物が続いた後、いよいよ「江州音頭」。川北さんが太鼓をたたくので楽しみでした。「江州音頭」は、亀山だと歌い手がエンドレスに歌をつないで踊り続けます。愛生園もよく似ていて、何と1時間半近くも続きました。その間、川北さんはずっと太鼓をたたきっぱなしですごかったです。

 最後は海から上げる1400発の花火。間近で開くので迫力がありました。

 愛生園の夏祭りには、島外からたくさんの人が押しかけてきます。子どもや若者の声が会場に響くのが、愛生園の皆さんはとても楽しみだそうです。

 お祭りを通して、愛生園と地域がどんどんつながっていけたらと思いました

     古川さんたちと
     古川さんたちと

 ●光明園との交流 7月26日(金)

 朝、愛生園に行って川北さん宅で朝食をいただき、歴史館で学芸員の田村さんと再会しつつ展示を見学してから光明園へ。

 まず、草分さんが前から仲良くしている古川さん宅で昼食をいただき、それから園内の見学です。

 監禁室には初めて中に入り、たくさん書かれている落書きを読みました。親が亡くなっても島から出してもらえず、やむを得ず泳いで脱走して郷里に行き、島に戻ったらここに入れられた方もいます。強制隔離政策を物語る貴重な遺跡です。

 それから園内に残る奉安殿、職員用と患者用に厳然と分けられている二つの桟橋、旧小学校を転用して作られた資料館、「らい予防法違憲訴訟」の勝訴記念碑、たくさんのハンセン病資料がある図書室などを回りました。 

●夏の研究集会(志摩市成基小学校) 7月27日(土)

 

■大阪大会レポートをもとに、実践や各地の様子を交流しました。

 

「様々な場所と年代での食育の取り組み」(鈴鹿 中嶋)

 デイサービスでお年寄りの料理を作りながら食育をする中嶋さん。

 シベリア抑留の体験のあるSさんの話を、黒パンとボルシチを作って食べながら聞いた時は、「話を聞いてもらえて嬉しい」と感謝され、しばらくしてSさんは亡くなったそうです。

 愛知の小学校に呼ばれた時は、日本一伝統野菜が多い県なので「方領大根」と「八事人参」を使って料理を作り、野菜の種のことを学習しました。

 紀北の小学校では、目はりずしを作りながら、漬物に入っている添加物について学習しました。

 まさに、様々な場所と年代での食育の実践でした。

 

「みんなで変わろう~普通学級での特別支援教育」(志摩 田畑)

 「障害」のある子にスモールステップを作ったり配慮をしたりすることで個の力を伸ばすのが特別支援教育ですが、田畑さんの取り組みは学級にとどまらず学校全体に広がるものでした。

 子どもが時間を守れない状況があると、3分前に予鈴をならすことで、子どもも教師も準備を早くできるようにしたり、話し方を考える時は「ダラダラしゃべらない」「わかりやすく」などの視点を出し「君の~がいいね」と声かけの仕方を共有したりするなど、具体的でわかりやすいポイントを出して職場と子どもを引っ張っていました。

「Aがうるさいからイヤだ」というより「Aがうるさいと私が困る」というように、主語を自分にして言うことが大切なことも心に残りました。

 

 ・「ユキナさんの『国』~日本とブラジル、日本とフィリピン」

                          (松阪 草分)

 9月から転校してきたユキナちゃんはお父さんがブラジル、お母さんがフィリピンの日本生まれ。日本語もほとんどわかりません。

 そこから、ブラジルへの移民のこと、フィリピンで日本がした戦争のこと、ポルトガル語で授業をすることでの異文化体験など、草分さんの学習はどんどん広がっていきます。

 学習する中で、学級の子どもたちはブラジルやフィリピンを通してユキナちゃんとつながり、ユキナちゃんも自分の国のことを知りながら友だちを作っていきました。とても幸せな半年間だったと思います。

 

 昼食には美味しいお刺身定食を食べ、終了後は参加者全員で企画展の準備をして、解散したのは夜の8時前…。

 とてもとても長い一日でした。

 3人の報告者の皆さん、どうもありがとうございました。

 いよいよ大阪大会です。 

●「ハンセン病~強制隔離の歴史~をわすれない」展

 

 今年で9回目になる「夏の企画展」。

 今年は、三重歴教協が2003年から交流している長島愛生園(岡山県瀬戸内市)での聞き取りなどをもとに、ハンセン病や強制隔離の事実を発信することにしました。

 津、志摩、鈴鹿、亀山の4会場で開催し、2368名の来場者がありました。県教委、開催各市教委のご後援も頂きました。

 

◆8月 2日(金)~ 4日(日) 津市リージョンプラザ

             (「津平和のための戦争展」にコーナー展示)

 毎年恒例となっている津の平和のための戦争展。さすがに入場者が多く、1757名でした。

◆8月 6日(火)~11日(日) 志摩市歴史民俗資料館

 愛生園でも、志摩出身の方にたくさんお会いしました。30名の入場がありました。

 8月13日(火)~18日(日) 鈴鹿市立図書館

 図書館の入口でパネル展示をさせて頂いたので、540名の方が足を止めて下さいました。

 8月28日(水)~9月1日(日)かめやま美術館

 ギャラリーの広さが、私たちの展示に毎年ピッタリです。ゆったりした時間が流れます。来場者41名でした。

●満蒙開拓平和記念館の見学 

        9月14日(土) 

 今年4月に開館して、すでに入場者1万人を突破したという「満蒙開拓平和記念館」(長野県阿智村)を見学しました。

 案内をお願いしたのは、満蒙開拓団や満蒙開拓青少年義勇軍に詳しい長野歴教協の原英章さんで、見学施設や昼食場所などの手配を完璧にして下さり、とても助かりました。

 9時に大山田SAに集合して出発、休憩しながら予定通りに12時に飯田山本インターで原さんと合流し、昼食後に満蒙開拓平和記念館を訪ねました。全国でも満蒙開拓移民や満蒙開拓青少年義勇軍の数が突出して多い長野県。特に多いのが南信地域で、中国東北部に行った親戚がいるのが普通だそうです。

 記念館では『沈まぬ夕陽』で知られる中島多鶴さんが待っていて下さり、展示の解説もして下さいました。体験談も詳しく聞かせて頂きましたが、何と、中島さんの妹さんが四日市にみえ、中国東北部の体験談も話せるそうで、ぜひお会いできればと思いました。

 この記念館は、阿智村の土地提供を受け、日中友好協会が建てた私設のものだということも初めて知りました。販売されている関連図書も豊富でしたが、図録がまだないのは残念でした。でも、中国東北部の詳しい開拓団地図が作られていたので購入しました。

 次に訪れたのは「熊谷元一記念館」。熊谷さんが撮影したすばらしい子どもの写真や、熊谷さんが描いた絵本や挿絵なども楽しかったのですが、特別に見せてもらえた戦時中のポスターには驚きました。

 敗戦当時の村長が、意識的に天井裏に隠して散逸や処分を免れた100枚を超える戦時ポスターは100枚を超え、そのうちの一部を見せて頂きました。当時はテレビもなく、映画も白黒なので、こういった「総天然色」のポスターは注目度が高かったという話に納得しました。

 詳細に整理・調査した資料も頂けました。

 もっと見学する時間が欲しいぐらいの濃密な日程の合間に、リンゴや桃、栗ソフトや五平餅、ちょうど旬の「栗きんとん」なども楽しめました。原さん、どうもありがとうございました。 

●地域での学習会(四日市市磯津)   10月5日(土)

 萩森繁樹さんを中心に、毎月楽しい活動を続けている「磯津環境学校(いそかん)」に参加しました。

 今回は「あんどん(行燈)づくり」で、実費800円で楽しい半日を過ごしました。

 午後は磯津見学を計画してもらってありましたが、参加者の都合が悪く、申し訳なかったのですが中止にしてもらいました。野田さんや今村さんにお願いしてもらってあったのに残念でした。

 以下は萩森さんの「いそかんブログ」よりの引用です。許可を頂き転載します。

 

 今月のいそかんはあんどん作り。かわいい姉妹やオバサン(失礼!)それに若者たち、バラエティな参加者でそれぞれのあんどん作りを楽しみました。どんなモノができるか説明させていただいた後、みなさん秋の植物を思い思いに並べて、薄い紙を貼るのも工夫算段して、情報交換をして、教え合い和気あいあいの会場でした。こうして並べた後、正面黒板の前の見本のように円筒形にして(ちょっと画像が切れて見えませんが)中に電気を入れて出来上がりです。
 きっと今宵はお家であんどんの灯をともして、暖かい灯りの前でまったりした気分に浸って見えることでしょう。

 

 小学生の姉妹から、萩森さんの教え子の青年など、幅広い世代の皆さんが集えるのも「いそかん」の良さです。この多彩な活動から四日市公害の掘りおこしと語り継ぎ、公害資料館の建設と充実につながっていくといいですね。どうもありがとうございました。 

神島フィールドワーク(鳥羽市)

       10月19日(土)

 大阪歴教協の平井さんのリクエストにお応えして、今夏の大阪大会を成功させた平井さんのがんばりを讃えつつ、久しぶりに神島のフィールドワークをしました。

 鳥羽の佐田浜港を10時45分に出港し、波を蹴立てて11時20分ごろに神島に到着。楽しみにしていた「山海荘」の蛸飯などの昼食後、島内を一周しました。

 神島は三島由紀夫の『潮騒』の島。島のあちこちに『潮騒』に関係する説明版が立てられています。

 そしてアジア太平洋戦争末期には本土戦の準備がされ、陸軍や海軍によって島は地下壕だらけにされ、伊勢湾口の敵船を狙う砲台もたくさん造られました。

 

 見学は、時計台→洗濯場→三島由紀夫逗留の家→八代神社とご神体用防空壕→灯台→観的哨→カルスト地形→古里海岸→陸軍居住壕→海軍通路壕という順で回りました。

 観的哨は補修され、屋上や階段には無粋なフェンスが造られてしまいましたが、多くの市民の力により再び一般公開されるようになったのは嬉しいことです。ただ、観的哨周辺を整備したことで、陸軍用地石柱や鉄塔などの戦争遺跡の一部が消滅したのは残念で、面的な保存整備を考えたいと思いました。

 心配された雨もそれほどでもなく、波も予想したよりずっと穏やかで、楽しい1日になりました。

●東海ブロック集会(静岡県)           11月30日(土)~12月1日(日)

 今年の東海ブロック(愛知、岐阜、長野、静岡、三重)の集会は静岡県で開催されました。三重からは6名が参加しました。うち3名は20代の方でした。

 30日は藤枝市の富岡屋で学習会を開催。

「浜岡は、やっぱり廃炉しかない」(桜井和好さん)、「なくそう浜岡原発・藤枝市民の会」活動報告(枝村三郎さん)をお聞きしました。

  そのあと、各県の活動報告や交流会をして終了しました。

 1日は浜岡原発のフィールドワーク。

 浜岡電力館で原子炉の構造などを学習し、地震の揺れで壊れやすい所がたくさんあることがわかりました。上の展望室から浜岡原発が見えますが、写真撮影は禁止でした。昨年10月に来た時は撮影できたので違和感が残りました。

 それから、浜から浜岡原発に近づきました。昨年来た時よりも立ち入り禁止区域が広がっていました。原発は砂丘の上に立ち、しかもその下には活断層があります。さらに、砂丘は波によって浸食が進み、護岸工事で強化されているものの、もし津波が来たら砂の丘はどうなるのか、その上にある原発施設は無事でいられるのか、とても疑問が残りました。

 国が稼働を止め、アルジャジーラやBBCが「世界で最も危険」と感想を言った理由が浜に来るとわかります。それを見せないために、だんだん立ち入り禁止区域が広がっているのかも知れません。

 あらためて原発の怖さや無駄について考えることのできた集会でした。

●愛生園里帰り   

 12月14日(土)~12月15日(日)

 今年も長島愛生園(岡山県瀬戸内市)の方が三重に里帰りをされ、墓参や観光など一緒に過ごしました。

 14日は故郷での墓参の後、二見(伊勢市)に宿泊。懇親会をしました。

 15日はちょっとしたサプライズ。この日がちょうど夫婦岩の大しめ縄張り替えの日と偶然わかったので、シーパラダイスを観光した後、見学しました。それから的矢で旬の牡蠣料理を楽しんでもらいました。

 

 ハンセン病にかかった方は、治癒できるにもかかわらず国によって強制隔離され、家族や故郷を奪われてしまった方も多くいらっしゃいます。

 愛生園などの国立療養所で暮らす方の平均年齢が80才を超える今、今も元気な方は厳しい時代を生き抜く体や心の強さがあった方です。
 その方々の、様々な思いを教えてもらいながら、故郷で待っている一人として、これからもつながっていきたいです。 

●地域での学習会(答志島 鳥羽市) 

         1月11日(土)

 今年度第4回目の「地域での学習会」は答志島で開催しました。

 9時に佐田浜港(鳥羽市)を出航して答志島へ。10時から「寝屋子(ねやこ)の館」をお借りして学習会です。

 今回のレポートは『南海トラフによる大地震に伴う津波と復興の歴史』(伊勢支部 新田さん)。志摩半島から牟婁地域までの地震や津波に関係する碑や墓石などを詳細に調査した記録です。

 考古学を専攻した新田さんの調査はさすがに精密で、碑文はすべて書き写され、碑などの長さも計測されていました。

 調査の成果は本にまとめられるそうで、三重の津波碑研究の重要な基礎資料になることは間違いありません。

 津波碑や古文書を使った高校での授業実践例も紹介してもらいました。

 それから「海女小屋」で昼食。

 

 島の旅社の山本さんたちが、地元の食材を炭火で焼いて下さいました。タコ飯やメカブの赤だし、特別サービスの間引きワカメのシャブシャブも美味しかったです。

 午後はフィールドワーク。

 午前の学習の余波で、ついつい石碑に目がいきます。すると、1854(嘉永7・安政元)年の津波の惨状が記された石碑を新しく確認できました。新田さんはFWを中断して、さっそく調査です。

 戦争中に造られた海軍の砲台跡、防空監視哨跡、古墳の横穴式石室を壊して造った陸軍の地下壕、答志の路地、神社の「竜の木」、九鬼嘉隆の首塚などを見学しました。

 若い会員と仲良くなった地元の小学3年生2人も一緒に来て案内してくれて、とても楽しかったです。

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