午前中は18年度をふり返り、19年度の活動計画を決定しました。18年度も活発に活動でき、財政的にも安定したことを確認できました。
19年度も月1回の活動を原則に、地域での学習会、社会科授業づくり講座、フィールドワークなどに取り組むことになりました。
会員の近況や活動の交流もできました。
「ビンの中のお父さん」 坂牧幸子さん(三友会事務局長)
午後は記念講演会。
坂牧さんは1才3カ月の時に、爆心地から1.8km離れた長崎市稲佐町で被爆されました。その時の光景は記憶にありませんが、小学校2年生の時に母親が原爆症で亡くなり、妹は養女にもらわれるなど、原爆の被害は重く長く続きました。
坂牧さんが20才の時に、一つ年上の同僚が白血病で亡くなります。その方は爆心地から2kmの所で被爆されていました。20年たっても原爆症は出る、しかも自分より遠くで被爆しているのに… 「ヒヤヒヤした」と語られた坂牧さん。原爆や放射能の非人間性や怖さが伝わってきました。
25才の時に、お父さんも原爆症で亡くなります。その時、ABCC(原爆傷害調査委員会)が献体を要望してきます。「原爆症で苦しんでいる人のために」と言われ、苦渋の選択で承諾した坂牧さん。ご遺体はお通夜までに戻りましたが、着物にくるまれた体から内臓は取られていました。その献体が軍事に使われていたことを知り、坂牧さんは怒りを感じます。さらに、お父さんの内臓が今も長崎大学に保管されていることがわかり、訪ねられます。次の戦争やテロの対策のためにプルトニウムの人体実験までしたアメリカの放射能対策もわかりました。
今も核廃絶を目指して活動されている坂牧さん。次の世代が同じ苦しみを繰り返さないために、被爆者の思いを語り続けられている姿に感動しました。坂牧さん、どうもありがとうございました。
今年度1回目の「地域での学習会」を津市で開催しました。10連休の2日目で、田植えなど忙しい方が多く、参加者は7名と少なかったですが、提案されたレポート3本はどれも重厚で勉強になりました。
「地域の学校で、共に育つ」(田畑美代子)
小学校や中学校で地域の友だちとつながっているかどうかがとても重要。そのために田畑さんは「障害」のある子どもがみんなと学習できるように手立てを組み、友だちとつなげる工夫をされています。具体的に提示してもらった体育やプール指導の進め方は「障害」のある子だけでなく、すべての子どもたちにもわかりやすいものでした。その子の姿や伸び、課題を職場全体に伝えていく取り組みも大事だと思いました。療育のプロとつながると、すばらしいアイディアを出してもらえることもわかりました。
高校での特別支援のあり方についても討論ができました。
「四日市と鈴鹿に生きて」(萩森繁樹)
自分は何を誰から学ぼうとしているか、それは楽しいかを自分に問いかけながら老後を生きている。毎日活発に活動されている萩森さんならではの言葉です。だからブレないのでしょう。
高校の非常勤教師として青年たちと出会える喜び。社会的ボランティアを続ける充実感と、今の日本に感じる危機感。10人ぐらいで資本論を学ぶ楽しさ。そして、野田之一さんが亡くなった磯津で、四日市公害をどう考えていくのかを模索されています。もし大きな地震が来たら四日市のコンビナートはどうなるのか、何を伝えればいいのかも大きな課題と語られました。
もう少し趣味も増やして、人とつながって70代を生きていくと言われる萩森さんの生き方に学びました。
「大衆とは何か~世界史A(現代史)1年間の実践より」(中西弘行)
世界史Aのヴァイマル憲法から日中首脳会談まで、どのような発問で授業を進め、生徒はどのような思いをもったか、それをどう分析したかという実践の報告でした。全体主義や独裁政治は、何が大切なのかがわからなくなった大衆によって支持される。だから流されず自分で判断できるようになってほしいという熱い思いがしっかりとあるので、進度に左右される進学校でもこれだけの取り組みができるのだと感動しました。
生徒たちの多様な感想にも柔軟に対応しながら授業を重ねていく姿もすばらしかったです。犠牲者の数が少ないと被害が小さいと思ってしまいますが、亡くなった人に思いをはせることが大切という言葉も心に残りました。「国が強くなれば生活も高まる」「子孫が繁栄するために犠牲にならなければ」という社会にはしたくないですね。
いつもなら午後はフィールドワークですが、この日はすばらしい講演会が近くであったので、それに参加しました。
三重歴教協では四日市公害と原発・放射能については学習の場を毎年つくっていますので、ぜひ参加したい講演会でした。
この日はレポートにのめりこみ、写真を撮るのを完全に忘れていました。
字ばかりになって申し訳ありません。
第2回「地域での学習会」は、会員の原田さんのご自宅で開催しました。
原田邸は旧家で敷地も広く、もうすぐ登録文化財になりそうな風情でした。戦争中には名古屋から集団学童疎開してきた子どもたちの宿舎にもなっていましたので、当時の子どもたちが残した作品などが残っているかも知れません。
午前中に3本の全国大会レポートから学びました。
「自分の言葉で伝えたい」(三谷陽平)
発音がはっきりせず自分の思いがなかなか伝わらないジレンマを感じている子に寄り添い、仲間の中で力をつけていった取り組みでした。本人の希望を大切にして「自分の声で伝えるようにさ
せ、伝わらない時の最終手段として機器を使う」という方針を作り、一音ずつ発声の練習を毎日約20分ずつ継続して、第三者に伝わるまでに1年かかったそうです。
着実にねばり強く取り組まれたすばらしい実践でした。
舌の機能を高めるために、アッカンベーの練習をしたり、ペロペロキャンディを舐めたりすること。発音を良くするためには体をほぐしたり姿勢を良くすることが大切なこと。たくさんの実践例も紹介されてたくさん学ぶことができました。
「松阪市射和町の発展につくした竹川竹斎の学習について」(花川和樹)
小学校4年生の地域学習の実践です。小学校4年生の社会科は地域学習なので業者テストはほとんど使いませんが、日本標準のテストでは本居宣長と竹川竹斎が出題されていると聞き、まず驚きました。地元の松阪地区でも竹川竹斎は無名なのに、それを研究しテストにした人は誰なんだろうかと興味をもちました。
花川さんが勤務される松阪市は「偉人」の宝庫で、市の副読本では4年で本居宣長、5年で松浦武四郎、6年で蒲生氏郷が取り上げられているそうです。
竹斎は幕末の伊勢商人で、勝海舟とも親交があり、日本でもごく初期の私立図書館(射和文庫)を作ったり多くの業績がありますが、花川さんはため池の築造に焦点を当てて3時間の授業を創りました。校区で教材や施設を掘り起こして教材化していくワンステップになりました。
「一枚の絵から~ハンセン病療養所入所者の絵の里帰り~」(草分京子)
草分さんがハンセン病に関心をもったのは2001年。それから岡山にある療養所「長島愛生園」を中心に交流を続けています。報告はこれまでの長い取り組みの概略と、2017年に長島愛生園から絵を里帰りさせた取り組みに焦点化したものでした。
かつてハンセン病だった方を教室に招待して、子どもたちとの時間をもちました。
子どもたちにとって素晴らしい学習になっただけでなく、ゲストの方の心にも働きかけるものになり、子どもたちに語られた強制隔離の様子は心に訴えるものがありました。そして、それを受け止めた子どもたちの感想や思いも素晴らしかったです。
里帰りできた絵たちも、子どもたちの声を聞きながら喜んでいることでしょう。
第3回「地域での学習会」は、四日市公害と環境未来館・研修室(じばさん三重2階)で開催しました。この会場は四日市でのホームグラウンドのようになっています。
午前中は2本の全国大会レポートから学びました。
「亀山列車銃撃事件」(岩脇 彰)
10年前に亀山9条の会と一緒に掘り起こしを始め、11年目の今年は、現場近くへの説明板設置と、亀山市と協働で「戦争遺跡パンフレット」の発行と市民公開講座(年5回)の開催をするそうです。
10年という息の長い取り組みで、亀山の人たちに列車銃撃事件が伝わってきています。地域に学び、地域を変えるという歴教協の基本を感じました。公開講座は亀山市歴史博物館で、7月に亀山列車銃撃事件、9月に関の地下工場、11月に現地見学会をするそうです。
「マンガ『ソラノイト』を読んで四日市公害の学習2019」(早川 寛司)
この実践は以前にも報告してもらいましたが、何度聞いても新鮮です。同じ授業プリントでも子どもたちの考えや反応が違うし、子どもたちの発言が報告に詳しく書かれ、早川さんの分析が面白いのでリアリティがあるからです。
「過去2年と違う発言が出てきて、途中から意欲が出てきた」と早川さん。子どもたちと一緒に考え、楽しんでいる様子がわかりました。
すごいと思ったのは、文科省が出した放射能の副読本を批判的に読む取り組みでした。指導要領に「批判的に読む」という観点があるので、それを文科省が発行した副読本でしたという発想がすばらしかったです。
副読本に「100μ㏜の被爆でガンになる可能性は、野菜不足や塩分の取りすぎと一緒」という表記から考えますが、鉛筆が進まない子どもたちを見て「甲状腺ガンに苦しむ子どもの新聞記事」を補助教材で出したら、一気に子どもたちが考え始めたそうで、授業づくりの力量を感じました。
午後は伊藤三男さんのご案内で、四日市公害と環境未来館や塩浜地区・磯津地区の見学をしました。
全国大会レポートから学び、地域をフィールドワークする「地域での学習会」。今年最後の第4回は初めて名張市で開催し、会場は名張高校の創明館をお借りしました。名張にも拠点ができそうです。
午前中は2本の全国大会レポートから学びました。
「種がつなぐ命(1年生の栽培活動」(原田聡子)
今の小学校のカリキュラムに、自然の中で過ごしたり、自然の植物をじっくりスケッチしたりする時間はあ
りません。原田さんは実物に触れることを大切にしながら、実にたくさんの植物を育て、学習をすすめています。自分たちで育てた種や実は図工の絶好の材料として、お金もかけずに潤沢に使えるそうで、大根を写生したり、ホウキグサでほうきを作ったり、オナモミで魚つりをしたり、実に多彩です。アサガオも最後は長く伸びた根っこと一緒に記念撮影するそうです。茶ワタというのも初めて見せてもらいました。
原田さんに教わる1年生は幸せですね。
「地域の課題から考える主権者教育」(大西孝明)
18才から投票権が行使できるようになり、高校では主権者教育の必要性が叫ばれています。
大西さんは身近な地域の課題から主権者教育を考えさせようとしました。初年の2017年は市の選挙管理委員会の方のお話から学び、昨年は「観光とまちづくり」をテーマに観光協会の方に話をしてもらったそうです。
講演会形式での学習では限界もあるので、地理Aの「地域調査」などを使ってフィールドワークにも取り組みたいとこれからの方向性も語られました。
「選挙に行かなければならないと思う子を育てなければいけない。そのために地域のいろいろな課題を考えさせたい。選挙に行かないのは学校の責任」と、名張高校出身の歴教協の大先輩が言われた言葉を参加者が紹介されたのも心に残りました。小学校からの課題ですね。
午後はフィールドワーク。
最初に小学校の校舎を転用して作られた名張市郷土資料館へ。古代の展示が充実していました。サンショウウオの子どももたくさんいてかわいかったです。それから名張藤堂家屋敷や夏見廃寺(写真)などの文化財を見学しました。
解散後は有志で青蓮寺というお寺に行き、戦争中に近くへ墜落したB29の部品を見せてもらい、搭乗員を地区全体で追悼している取り組みについてご住職からお話を聞きました。
1日では見学し切れない所も多く、名張も歴史の宝庫だと感じました。再訪したいです。
「わたしたちは 道徳 をどう進めるか」
アスト津の交流スペース⑦⑧で、兵庫県歴教協の岩本賢治さんのお話から学びました。先進的な取り組みを聞き、自分たちの固定観念を崩すことができました。
①35時間すべて教科書を使わなくてもいい
神戸では教科書20時間、地域教材10時間・・・などという指定もあるそうです。
②教材によっては、朝の読書や、夏休みなどに読ませて感想を書かせるだけでも良い。
③通知表に書く評価は、児童の成長の過程を書く必要から年度末に一度で良い。
そもそも通知表に入れる必要もないそうです。
④多様な思いが出せるような、学級づくりが前提となる。
たとえば「金のおの・銀のおの」の話なら「木こりは金の斧なんか要らないよ」という意見はおもしろいですね。「橋の上のおおかみ」なら「オオカミに抱っこされたウサギはこわかっただろうな」「みんなが安心して通れる大きな橋があったらいいな」「もう一つ橋があったらいいな」という多様な意見が出せる学級、聞きあえる学級を目ざしたいです。
⑤教師が「あれ、この教材おかしいな」と思えるような感覚を。
「お母さんの請求書」で登場する「紙に書いて請求する子」ってどうなんだろう。だまって「0円」と書いて渡す母親も不気味です。どんな親子関係なんだろう?と思ってしまいませんか。
いろんな多角的な意見を出しあい、聞きあい、楽しい道徳をしていく必要を感じました。岩本さん、どうもありがとうございました。
台風19号が接近する10月12日(土)。台風に追いかけられるように北上して富山市のイタイイタイ病資料館へ。 昼食は近くの「ますのすしミュージアム」で、美味しいお寿司を頂きました。
一度発症すると治ることのないイタイイタイ病。カドミウムの恐ろしさがわかりました。この資料館や富山空港も汚染地域の一部だそうです。
13日は立山黒部アルペンルートへ。1年で一番混雑する秋の三連休でしたが、前日の台風の影響で観光客は極端に少なく、存分に楽しめました。
黒部ダムは壮観ですが、殉職者を171名も出す工事は許されるのかという議論をしました。
その後、快晴の室堂を散策。学習も大切ですが、今回のテーマは「富山でやすむ」。絶景の中で命の洗濯をしました。壮大な黒四ダムも、室堂の大自然にはかないません。
室堂では立山信仰の展示を見て、近世の民間信仰について知ることができました。
14日は広貫堂(富山市)で売薬について学習しました。「富山の薬売り」の歴史と行商システムが面白かったです。
帰りに寄った白川郷では、偶然「どぶろく祭」も楽しめました。隣の五箇荘村の「こきりこ節」で有名なささらを購入した会員もいました。満足満足。
天候にも恵まれ、興福寺から見学をスタートしました。案内して下さるのは奈良歴教協の西浦弘望さん。いつも、歴史学の視点から子どもたちの興味をくすぐるポイントを教えて頂いています。
今回は、修学旅行の定番コースで何を見せ、何を語るかをテーマに案内して頂きました。
東大寺の南大門と大仏殿の見学ポイントを教わった後、紹介してもらったのは七重塔の基壇です。ちゃんと残っていて整備されていることに驚きました。ここも散策コースの目玉に使えそうです。奈良にはまだまだ隠れた見学ポイントがあることがわかりました。
法隆寺では、なぜ建築が残ったかを教わりました。後世の知恵や脈々と続くメンテナンスを知りました。「世界最古の木造建築」と教科書にも書かれている法隆寺が、なぜ残ったのかを考えることはとても面白いと思いました。
興福寺の五重塔は有名ですが、三重塔もあるとは驚きでした。しかも国宝です。事前学習で子どもたちに問いかけるアイディアが湧きました。また、東大寺大仏殿にある賓頭盧尊者(びんするそんじゃ)像は、修学旅行でも子どもの人気ですが、同じものが興福寺にもあると教わりました。
県庁屋上も、以前に西浦さんに教わったポイントで、興福寺や東大寺がよく見え、平城宮を遠望することもできます。階下の食堂は正午までなら空いていて、小規模校なら昼食場所にも使え、時間と費用の削減ができます。修学旅行で愛用している場所の一つです。
最後にサービスで藤ノ木古墳を案内して頂きました。法隆寺のすぐ近くにある終末期古墳を見て、古墳時代からお寺重視の飛鳥時代への移り変わりを感じました。丁寧にわかりやすく説明をして下さった西浦さん、どうもありがとうございました。
少し雨が残る中、熊野古道の馬越峠の石畳道を楽しみました。太平洋からの湿った空気が大台ヶ原などの山々にぶつかるので、尾鷲は雨量が全国一多いことで知られています。雨水で道が削られないように石畳を敷いたことがよくわかりました。
尾鷲では戦争中に二つの惨事がありました。1944年の東南海地震と、1945年7月28日の米英艦上機来襲です。尾鷲に配備されていた海軍の艦船部隊はこれによって壊滅し、147名が戦死しました。市内3ヶ所に慰霊碑が作られていますが、そのうちの一つを見学しました。
1944年12月7日の東南海地震で、尾鷲は津波に襲われました。津波の水位を表す記念碑を見学しました。東日本大震災の水位の半分ぐらいですが、それでも見上げるほど高かったです。
尾鷲はヒノキと魚の町。昼食は美味しいお刺身や煮魚をたっぷり賞味できましたし、ヒノキの端材をたくさんもらって教材にできると大喜びの参加者もいました。ポンカンの果樹園も予定していましたが、今年は時期が早くてまだ実っておらず残念でした。ぜひ再訪したいと思います。
尾鷲の自然と産業を知り、歴史の証人を訪ねることのできたフィールドワークでした。
古道センターでガイドの坂井さんに案内して頂きました。尾鷲では強い雨に耐えられるように独特の尾鷲傘が作られました。すでに作り手は絶えていますが、2~3日前に尾鷲傘が寄贈されたそうで、私たちが初めての見学者になりました。ぜひ復活をと思いますが、材料などハードルは高いようです。
海軍部隊の主艦だった海防艦「駒橋」の艦首紋章をご厚意で見せて頂きました。艦首紋章が残っているのは全国で7例だそうで、とても貴重です。近くに残っている野戦病院に使われた地下壕と合わせて尾鷲の戦争を語り継ぎたいと思います。